今の宮城

こんにちは。

連休最後を迎えています。

さてさて、先日GWにボランティアに行くかどうか真剣に悩んでました。

多くの方々のアドバイス、東松島の知人の言葉で迷いは消え、ボランティアに行ってきました。

まずはじめにいろんな方にブログを見てもらってます。

これから書く日記の内容にいろいろな事を思うかもしれません。

十人十色、思う事は人それぞれ違います。

当然、日記の内容に批判があるかもしれません。

それは覚悟しています。

ただ、今の現状を一人でも多くの人に知ってもらいたいのです。

今回、ボランティアに行って来て感じた事はたくさんありました。

行って良かった。

本当に良かった。

そう思ってます。


5/1の21時過ぎに家を出て、ソフト部の寮に行きました。

協力していただいた支援物資をゼストに詰め込む為です。

はい。

最初の予想外な事が起きました。

想像以上の支援物資の山。

すでにテントやら水やらガソリンなどでゼストには半分以上埋まってました。

折角、集めてもらって申し訳ないのですがマスクやら洗剤など生活用品を詰め込み宇都宮の友人を拾い23時過ぎに栃木を出発しました。

東北道を北上し、去年の11月に仙台に行ったな~など思いだしながら運転してました。

栃木から福島、福島から宮城と車を走らせたが福島に入ると一気に緊張感が。

福島に入る頃から震災による交通規制が始まり、所々でひび割れや地盤沈下などが見られ、道路工事も至る所で行われていた。

舗装されているとは言え、道路はぼこぼこ。

段差注意の看板も虚しく、何度ゼストがジャンプした事やら・・・。

もうちょっと手前に看板置いといてくれればいいのになと思いつつジャンプするたびにあか~んっと叫んでました。

いつもとは全く違った高速道路の風景に、地震がもたらす自然の力とそこから立て直そうとする人間の力を感じる最初の出来事だった。

途中、休憩を挟み4時間弱で東松島市に到着。

先ず、宮城県東松島市ですが、港町でもある石巻市に隣接する市で、また今回の津波による大きな被害を被ってしまった気仙沼から南へおよそ80kmに位置する太平洋に面した街です。

2001年のみやぎ国体で大変お世話になったところです。

その東松島市を拠点とした現地ボランティア団体を立ち上げた方を便りに、
今回コンタクトをとらせていただき、参加させてもらいました。

3時半くらいに目的地近くに到着。

今回お世話になる拠点の手前3kのミニストップで7時になるまで仮眠取りました。

周りは真っ暗。ものすごい風。

風で車が揺れ地震かと思い一人で焦ってました。

結局、仮眠と言っても一睡も出来ず朝を迎えてしまった。

7時になり、ミニストップでコーヒーを買い明るくなった辺りを見てびっくり。

様々なメディアから目にしてきた風景そのものでした。

覚悟はしていたが実際、現実を目の当たりにすると結構ショック。



それと同時に気が引き締まり、拠点となる地区センターに向かいました。

そこには京都、大阪、秋田、練馬、大宮いろんなナンバーがいました。

外人さんもいました。

日本が温かい国だと言う事、こんなにも世界から愛されていたんだと痛感。

多くの人が集まり他人事にしない、日本に生まれて誇りに思った。

そして、乗合で海岸近くの現場に行った。

一日目はあまりのショックに写真を撮る事すらできなかった。

ボランティアの代表の方が撮った写真を帰り際に頂いたのでその写真を紹介したいと思います。

写真を載せるのも迷ったところだが一人でも多くの人に今、起こっている事を伝えたい。何かを感じてもらいたいという思いから載せます。

現場に向かう途中の線路です。

線路にも瓦礫。線路の完全復旧には10年かかるとも言われています。



先ず始めに向ったのは海岸からおよそ1kmほど離れた民家。

作業は家の中の掃除。畳や家具、瓦礫に藁などの撤去作業です。



屋根まで津波が来た事が分ります。



家の中まで藁やらヘドロやらいろんなものが入ってきてます。

ここで出会った老夫婦は福島の人たちのことや栃木から来た私達のことも心配していました。

自分たちの家がこんな状況なのに。。涙が出そうになりました。

その後、農家の泥かき、畑?空き地?に流れ着いた瓦礫の撤去。

ほんとしんどかった。くさいし重いし訳分んないし。

体力はそれなりにあるとは思っていが想像以上にハードワークで、肉体を酷使した作業だった。

また悲惨な状況を目の当たりにした中で行う環境下に慣れていない為精神的にも疲れた。

合宿よりもはるかに疲れた(笑)

夜はテントで寝るはずだったが東松島の知人宅にお世話になる事に・・・。

実はこの知人、国体の時に知り合い、その後もソフトの応援に来てくれた方です。

家は床上浸水になり先日片付けが完了し避難所生活から解放されたそうです。

そんな大変な中、お邪魔しては申し訳ないと思い一度はお断りしたものの是非、泊まって欲しいとのお言葉に甘えさせていただきました。

正直複雑でした。

でも、一日でも早く今までの生活を送ってもらいたいしお話を聞くだけだけでもストレス発散になる事だったあるだろうしといい方に考えお世話になりました。。

震災当時の話をしてくださいました。

第一声がここまで津波が来るとは思わなかったでした。

あっという間に全ての物を津波がのみ、その場に立ち尽くす周辺住民の方々は、真っ黒な波と降りしきる雪に震えは止まらず、ただただその状況の中で生きる事を祈り、どうか天災が収まる事を祈り、家族友人の無事を祈ったそうです。

大震災の日も避難所では毛布もなくみんなで肩身を寄せ声を掛けながら一夜を明かしたそうです。

想像を超える経験。想像を超える恐怖。想像を超える天災。

自分に置き換える事すらできなかった・・・

さまざまな苦難を乗り越え実際に出会った現地の人たちは、未来への不安と希望が入り交じりながらも、よりリアルに「今」を一生懸命生きているように感じました。

次の日は、お寺の作業依頼がありお墓の掃除をしたがありえない。

どこから流れてきたか分らないウッドデッキやら倉庫で墓石は倒れひどい場所は墓石がどこかに流されている。

土台しか残ってないお墓。

津波はなにがしたいのか・・・。なにがしたかったのか?

自然の猛威にただただ怒りを覚えた。

すれ違う地域の方にボランティアですか?っと声を掛けられ御苦労さま。ありがとうと声を掛けられる度に違和感を覚えた。

来てくれるだけで本当に嬉しい。お体に気を付けてくださいと言われた時にはなぜ、こんな状況下で人の心配ができるのか?改めて自分の小ささを感じた。

元気を与えなくてはいけないのに元気をもらった。

そして石巻へ。

声が出ない。出るのは涙だけ。

見た事のない風景。

ありえない光景。

どうしたら車がこんな形になるのか?

私の思考回路は切断。

目の前の光景に口を開けただ見ることしかできなかった。









これが今の石巻。

これが同じ日本の石巻。

震災当時はもっと凄かったんだと思う。

家に戻り、改めてこういった映像を見ると自分が昨日までいたあの場所だと言う事が信じられない。

およそ二月が経つが、まだまだ復興には莫大なお金と時間、労働が必要とされている事を実感した。

そのなかで、伺った地区をあそこまで整備した自衛隊、地元住民、ボランティアの方々の活動に、心より尊敬と敬意を表したいと思います。

そして今回のボランティアで感じた事はとにかくマンパワーが足りない。

全然足りない。

もし躊躇っている人がいたら是非、現地にいってください。

私もまた、行きます。

もし気になる方、そして今まで『力になりたい』と思いながらも、何も出来ずに無力感を感じていた方、出来る事は沢山あります!

いろいろな支援の方法があるので、それぞれがそれぞれの形で無理なく出来ることを出来るタイミングで行えばいいと思います。
・物資を送る

・義援金を送る
・被災地のものを買う
・節電する
・祈る
・原発について考える

何でもいいと思います。

その積み重ねが、明るい日本を作って行くのだと信じています。

まだまだ長期にわたる支援が必要ですがこれからも無理なく出来る限り続けて行こうと強く感じました。




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今の宮城

こんにちは。

連休最後を迎えています。

さてさて、先日GWにボランティアに行くかどうか真剣に悩んでました。

多くの方々のアドバイス、東松島の知人の言葉で迷いは消え、ボランティアに行ってきました。

まずはじめにいろんな方にブログを見てもらってます。

これから書く日記の内容にいろいろな事を思うかもしれません。

十人十色、思う事は人それぞれ違います。

当然、日記の内容に批判があるかもしれません。

それは覚悟しています。

ただ、今の現状を一人でも多くの人に知ってもらいたいのです。

今回、ボランティアに行って来て感じた事はたくさんありました。

行って良かった。

本当に良かった。

そう思ってます。


5/1の21時過ぎに家を出て、ソフト部の寮に行きました。

協力していただいた支援物資をゼストに詰め込む為です。

はい。

最初の予想外な事が起きました。

想像以上の支援物資の山。

すでにテントやら水やらガソリンなどでゼストには半分以上埋まってました。

折角、集めてもらって申し訳ないのですがマスクやら洗剤など生活用品を詰め込み宇都宮の友人を拾い23時過ぎに栃木を出発しました。

東北道を北上し、去年の11月に仙台に行ったな~など思いだしながら運転してました。

栃木から福島、福島から宮城と車を走らせたが福島に入ると一気に緊張感が。

福島に入る頃から震災による交通規制が始まり、所々でひび割れや地盤沈下などが見られ、道路工事も至る所で行われていた。

舗装されているとは言え、道路はぼこぼこ。

段差注意の看板も虚しく、何度ゼストがジャンプした事やら・・・。

もうちょっと手前に看板置いといてくれればいいのになと思いつつジャンプするたびにあか~んっと叫んでました。

いつもとは全く違った高速道路の風景に、地震がもたらす自然の力とそこから立て直そうとする人間の力を感じる最初の出来事だった。

途中、休憩を挟み4時間弱で東松島市に到着。

先ず、宮城県東松島市ですが、港町でもある石巻市に隣接する市で、また今回の津波による大きな被害を被ってしまった気仙沼から南へおよそ80kmに位置する太平洋に面した街です。

2001年のみやぎ国体で大変お世話になったところです。

その東松島市を拠点とした現地ボランティア団体を立ち上げた方を便りに、
今回コンタクトをとらせていただき、参加させてもらいました。

3時半くらいに目的地近くに到着。

今回お世話になる拠点の手前3kのミニストップで7時になるまで仮眠取りました。

周りは真っ暗。ものすごい風。

風で車が揺れ地震かと思い一人で焦ってました。

結局、仮眠と言っても一睡も出来ず朝を迎えてしまった。

7時になり、ミニストップでコーヒーを買い明るくなった辺りを見てびっくり。

様々なメディアから目にしてきた風景そのものでした。

覚悟はしていたが実際、現実を目の当たりにすると結構ショック。



それと同時に気が引き締まり、拠点となる地区センターに向かいました。

そこには京都、大阪、秋田、練馬、大宮いろんなナンバーがいました。

外人さんもいました。

日本が温かい国だと言う事、こんなにも世界から愛されていたんだと痛感。

多くの人が集まり他人事にしない、日本に生まれて誇りに思った。

そして、乗合で海岸近くの現場に行った。

一日目はあまりのショックに写真を撮る事すらできなかった。

ボランティアの代表の方が撮った写真を帰り際に頂いたのでその写真を紹介したいと思います。

写真を載せるのも迷ったところだが一人でも多くの人に今、起こっている事を伝えたい。何かを感じてもらいたいという思いから載せます。

現場に向かう途中の線路です。

線路にも瓦礫。線路の完全復旧には10年かかるとも言われています。



先ず始めに向ったのは海岸からおよそ1kmほど離れた民家。

作業は家の中の掃除。畳や家具、瓦礫に藁などの撤去作業です。



屋根まで津波が来た事が分ります。



家の中まで藁やらヘドロやらいろんなものが入ってきてます。

ここで出会った老夫婦は福島の人たちのことや栃木から来た私達のことも心配していました。

自分たちの家がこんな状況なのに。。涙が出そうになりました。

その後、農家の泥かき、畑?空き地?に流れ着いた瓦礫の撤去。

ほんとしんどかった。くさいし重いし訳分んないし。

体力はそれなりにあるとは思っていが想像以上にハードワークで、肉体を酷使した作業だった。

また悲惨な状況を目の当たりにした中で行う環境下に慣れていない為精神的にも疲れた。

合宿よりもはるかに疲れた(笑)

夜はテントで寝るはずだったが東松島の知人宅にお世話になる事に・・・。

実はこの知人、国体の時に知り合い、その後もソフトの応援に来てくれた方です。

家は床上浸水になり先日片付けが完了し避難所生活から解放されたそうです。

そんな大変な中、お邪魔しては申し訳ないと思い一度はお断りしたものの是非、泊まって欲しいとのお言葉に甘えさせていただきました。

正直複雑でした。

でも、一日でも早く今までの生活を送ってもらいたいしお話を聞くだけだけでもストレス発散になる事だったあるだろうしといい方に考えお世話になりました。。

震災当時の話をしてくださいました。

第一声がここまで津波が来るとは思わなかったでした。

あっという間に全ての物を津波がのみ、その場に立ち尽くす周辺住民の方々は、真っ黒な波と降りしきる雪に震えは止まらず、ただただその状況の中で生きる事を祈り、どうか天災が収まる事を祈り、家族友人の無事を祈ったそうです。

大震災の日も避難所では毛布もなくみんなで肩身を寄せ声を掛けながら一夜を明かしたそうです。

想像を超える経験。想像を超える恐怖。想像を超える天災。

自分に置き換える事すらできなかった・・・

さまざまな苦難を乗り越え実際に出会った現地の人たちは、未来への不安と希望が入り交じりながらも、よりリアルに「今」を一生懸命生きているように感じました。

次の日は、お寺の作業依頼がありお墓の掃除をしたがありえない。

どこから流れてきたか分らないウッドデッキやら倉庫で墓石は倒れひどい場所は墓石がどこかに流されている。

土台しか残ってないお墓。

津波はなにがしたいのか・・・。なにがしたかったのか?

自然の猛威にただただ怒りを覚えた。

すれ違う地域の方にボランティアですか?っと声を掛けられ御苦労さま。ありがとうと声を掛けられる度に違和感を覚えた。

来てくれるだけで本当に嬉しい。お体に気を付けてくださいと言われた時にはなぜ、こんな状況下で人の心配ができるのか?改めて自分の小ささを感じた。

元気を与えなくてはいけないのに元気をもらった。

そして石巻へ。

声が出ない。出るのは涙だけ。

見た事のない風景。

ありえない光景。

どうしたら車がこんな形になるのか?

私の思考回路は切断。

目の前の光景に口を開けただ見ることしかできなかった。









これが今の石巻。

これが同じ日本の石巻。

震災当時はもっと凄かったんだと思う。

家に戻り、改めてこういった映像を見ると自分が昨日までいたあの場所だと言う事が信じられない。

およそ二月が経つが、まだまだ復興には莫大なお金と時間、労働が必要とされている事を実感した。

そのなかで、伺った地区をあそこまで整備した自衛隊、地元住民、ボランティアの方々の活動に、心より尊敬と敬意を表したいと思います。

そして今回のボランティアで感じた事はとにかくマンパワーが足りない。

全然足りない。

もし躊躇っている人がいたら是非、現地にいってください。

らくだもまた、行きます。

もし気になる方、そして今まで『力になりたい』と思いながらも、何も出来ずに無力感を感じていた方、出来る事は沢山あります!

いろいろな支援の方法があるので、それぞれがそれぞれの形で無理なく出来ることを出来るタイミングで行えばいいと思います。
・物資を送る

・義援金を送る
・被災地のものを買う
・節電する
・祈る
・原発について考える

何でもいいと思います。

その積み重ねが、明るい日本を作って行くのだと信じています。

まだまだ長期にわたる支援が必要ですがこれからも無理なく出来る限り続けて行こうと強く感じました。




今の宮城

こんにちは。

連休最後を迎えています。

さてさて、先日GWにボランティアに行くかどうか真剣に悩んでました。

多くの方々のアドバイス、東松島の知人の言葉で迷いは消え、ボランティアに行ってきました。

まずはじめにいろんな方にブログを見てもらってます。

これから書く日記の内容にいろいろな事を思うかもしれません。

十人十色、思う事は人それぞれ違います。

当然、日記の内容に批判があるかもしれません。

それは覚悟しています。

ただ、今の現状を一人でも多くの人に知ってもらいたいのです。

今回、ボランティアに行って来て感じた事はたくさんありました。

行って良かった。

本当に良かった。

そう思ってます。


5/1の21時過ぎに家を出て、ソフト部の寮に行きました。

協力していただいた支援物資をゼストに詰め込む為です。

はい。

最初の予想外な事が起きました。

想像以上の支援物資の山。

すでにテントやら水やらガソリンなどでゼストには半分以上埋まってました。

折角、集めてもらって申し訳ないのですがマスクやら洗剤など生活用品を詰め込み宇都宮の友人を拾い23時過ぎに栃木を出発しました。

東北道を北上し、去年の11月に仙台に行ったな~など思いだしながら運転してました。

栃木から福島、福島から宮城と車を走らせたが福島に入ると一気に緊張感が。

福島に入る頃から震災による交通規制が始まり、所々でひび割れや地盤沈下などが見られ、道路工事も至る所で行われていた。

舗装されているとは言え、道路はぼこぼこ。

段差注意の看板も虚しく、何度ゼストがジャンプした事やら・・・。

もうちょっと手前に看板置いといてくれればいいのになと思いつつジャンプするたびにあか~んっと叫んでました。

いつもとは全く違った高速道路の風景に、地震がもたらす自然の力とそこから立て直そうとする人間の力を感じる最初の出来事だった。

途中、休憩を挟み4時間弱で東松島市に到着。

先ず、宮城県東松島市ですが、港町でもある石巻市に隣接する市で、また今回の津波による大きな被害を被ってしまった気仙沼から南へおよそ80kmに位置する太平洋に面した街です。

2001年のみやぎ国体で大変お世話になったところです。

その東松島市を拠点とした現地ボランティア団体を立ち上げた方を便りに、
今回コンタクトをとらせていただき、参加させてもらいました。

3時半くらいに目的地近くに到着。

今回お世話になる拠点の手前3kのミニストップで7時になるまで仮眠取りました。

周りは真っ暗。ものすごい風。

風で車が揺れ地震かと思い一人で焦ってました。

結局、仮眠と言っても一睡も出来ず朝を迎えてしまった。

7時になり、ミニストップでコーヒーを買い明るくなった辺りを見てびっくり。

様々なメディアから目にしてきた風景そのものでした。

覚悟はしていたが実際、現実を目の当たりにすると結構ショック。



それと同時に気が引き締まり、拠点となる地区センターに向かいました。

そこには京都、大阪、秋田、練馬、大宮いろんなナンバーがいました。

外人さんもいました。

日本が温かい国だと言う事、こんなにも世界から愛されていたんだと痛感。

多くの人が集まり他人事にしない、日本に生まれて誇りに思った。

そして、乗合で海岸近くの現場に行った。

一日目はあまりのショックに写真を撮る事すらできなかった。

ボランティアの代表の方が撮った写真を帰り際に頂いたのでその写真を紹介したいと思います。

写真を載せるのも迷ったところだが一人でも多くの人に今、起こっている事を伝えたい。何かを感じてもらいたいという思いから載せます。

現場に向かう途中の線路です。

線路にも瓦礫。線路の完全復旧には10年かかるとも言われています。



先ず始めに向ったのは海岸からおよそ1kmほど離れた民家。

作業は家の中の掃除。畳や家具、瓦礫に藁などの撤去作業です。



屋根まで津波が来た事が分ります。



家の中まで藁やらヘドロやらいろんなものが入ってきてます。

ここで出会った老夫婦は福島の人たちのことや栃木から来た私達のことも心配していました。

自分たちの家がこんな状況なのに。。涙が出そうになりました。

その後、農家の泥かき、畑?空き地?に流れ着いた瓦礫の撤去。

ほんとしんどかった。くさいし重いし訳分んないし。

体力はそれなりにあるとは思っていが想像以上にハードワークで、肉体を酷使した作業だった。

また悲惨な状況を目の当たりにした中で行う環境下に慣れていない為精神的にも疲れた。

合宿よりもはるかに疲れた(笑)

夜はテントで寝るはずだったが東松島の知人宅にお世話になる事に・・・。

実はこの知人、国体の時に知り合い、その後もソフトの応援に来てくれた方です。

家は床上浸水になり先日片付けが完了し避難所生活から解放されたそうです。

そんな大変な中、お邪魔しては申し訳ないと思い一度はお断りしたものの是非、泊まって欲しいとのお言葉に甘えさせていただきました。

正直複雑でした。

でも、一日でも早く今までの生活を送ってもらいたいしお話を聞くだけだけでもストレス発散になる事だったあるだろうしといい方に考えお世話になりました。。

震災当時の話をしてくださいました。

第一声がここまで津波が来るとは思わなかったでした。

あっという間に全ての物を津波がのみ、その場に立ち尽くす周辺住民の方々は、真っ黒な波と降りしきる雪に震えは止まらず、ただただその状況の中で生きる事を祈り、どうか天災が収まる事を祈り、家族友人の無事を祈ったそうです。

大震災の日も避難所では毛布もなくみんなで肩身を寄せ声を掛けながら一夜を明かしたそうです。

想像を超える経験。想像を超える恐怖。想像を超える天災。

自分に置き換える事すらできなかった・・・

さまざまな苦難を乗り越え実際に出会った現地の人たちは、未来への不安と希望が入り交じりながらも、よりリアルに「今」を一生懸命生きているように感じました。

次の日は、お寺の作業依頼がありお墓の掃除をしたがありえない。

どこから流れてきたか分らないウッドデッキやら倉庫で墓石は倒れひどい場所は墓石がどこかに流されている。

土台しか残ってないお墓。

津波はなにがしたいのか・・・。なにがしたかったのか?

自然の猛威にただただ怒りを覚えた。

すれ違う地域の方にボランティアですか?っと声を掛けられ御苦労さま。ありがとうと声を掛けられる度に違和感を覚えた。

来てくれるだけで本当に嬉しい。お体に気を付けてくださいと言われた時にはなぜ、こんな状況下で人の心配ができるのか?改めて自分の小ささを感じた。

元気を与えなくてはいけないのに元気をもらった。

そして石巻へ。

声が出ない。出るのは涙だけ。

見た事のない風景。

ありえない光景。

どうしたら車がこんな形になるのか?

私の思考回路は切断。

目の前の光景に口を開けただ見ることしかできなかった。









これが今の石巻。

これが同じ日本の石巻。

震災当時はもっと凄かったんだと思う。

家に戻り、改めてこういった映像を見ると自分が昨日までいたあの場所だと言う事が信じられない。

およそ二月が経つが、まだまだ復興には莫大なお金と時間、労働が必要と
されている事を実感した。

そのなかで、伺った地区をあそこまで整備した自衛隊、地元住民、ボランティアの方々の活動に、心より尊敬と敬意を表したいと思います。

そして今回のボランティアで感じた事はとにかくマンパワーが足りない。

全然足りない。

もし躊躇っている人がいたら是非、現地にいってください。

らくだもまた、行きます。

もし気になる方、そして今まで『力になりたい』と思いながらも、何も出来ずに無力感を感じていた方、出来る事は沢山あります!

いろいろな支援の方法があるので、それぞれがそれぞれの形で無理なく出来ることを出来るタイミングで行えばいいと思います。
・物資を送る

・義援金を送る
・被災地のものを買う
・節電する
・祈る
・原発について考える

何でもいいと思います。

その積み重ねが、明るい日本を作って行くのだと信じています。

まだまだ長期にわたる支援が必要ですがこれからも無理なく出来る限り続けて行こうと強く感じました。




今の宮城

こんにちは。

連休最後を迎えています。

さてさて、先日GWにボランティアに行くかどうか真剣に悩んでました。

多くの方々のアドバイス、東松島の知人の言葉で迷いは消え、ボランティアに行ってきました。

まずはじめにいろんな方にブログを見てもらってます。

これから書く日記の内容にいろいろな事を思うかもしれません。

十人十色、思う事は人それぞれ違います。

当然、日記の内容に批判があるかもしれません。

それは覚悟しています。

ただ、今の現状を一人でも多くの人に知ってもらいたいのです。

今回、ボランティアに行って来て感じた事はたくさんありました。

行って良かった。

本当に良かった。

そう思ってます。


5/1の21時過ぎに家を出て、ソフト部の寮に行きました。

協力していただいた支援物資をゼストに詰め込む為です。

はい。

最初の予想外な事が起きました。

想像以上の支援物資の山。

すでにテントやら水やらガソリンなどでゼストには半分以上埋まってました。

折角、集めてもらって申し訳ないのですがマスクやら洗剤など生活用品を詰め込み宇都宮の友人を拾い23時過ぎに栃木を出発しました。

東北道を北上し、去年の11月に仙台に行ったな~など思いだしながら運転してました。

栃木から福島、福島から宮城と車を走らせたが福島に入ると一気に緊張感が。

福島に入る頃から震災による交通規制が始まり、所々でひび割れや地盤沈下などが見られ、道路工事も至る所で行われていた。

舗装されているとは言え、道路はぼこぼこ。

段差注意の看板も虚しく、何度ゼストがジャンプした事やら・・・。

もうちょっと手前に看板置いといてくれればいいのになと思いつつジャンプするたびにあか~んっと叫んでました。

いつもとは全く違った高速道路の風景に、地震がもたらす自然の力とそこから立て直そうとする人間の力を感じる最初の出来事だった。

途中、休憩を挟み4時間弱で東松島市に到着。

先ず、宮城県東松島市ですが、港町でもある石巻市に隣接する市で、また今回の津波による大きな被害を被ってしまった気仙沼から南へおよそ80kmに位置する太平洋に面した街です。

2001年のみやぎ国体で大変お世話になったところです。

その東松島市を拠点とした現地ボランティア団体を立ち上げた方を便りに、
今回コンタクトをとらせていただき、参加させてもらいました。

3時半くらいに目的地近くに到着。

今回お世話になる拠点の手前3kのミニストップで7時になるまで仮眠取りました。

周りは真っ暗。ものすごい風。

風で車が揺れ地震かと思い一人で焦ってました。

結局、仮眠と言っても一睡も出来ず朝を迎えてしまった。

7時になり、ミニストップでコーヒーを買い明るくなった辺りを見てびっくり。

様々なメディアから目にしてきた風景そのものでした。

覚悟はしていたが実際、現実を目の当たりにすると結構ショック。



それと同時に気が引き締まり、拠点となる地区センターに向かいました。

そこには京都、大阪、秋田、練馬、大宮いろんなナンバーがいました。

外人さんもいました。

日本が温かい国だと言う事、こんなにも世界から愛されていたんだと痛感。

多くの人が集まり他人事にしない、日本に生まれて誇りに思った。

そして、乗合で海岸近くの現場に行った。

一日目はあまりのショックに写真を撮る事すらできなかった。

ボランティアの代表の方が撮った写真を帰り際に頂いたのでその写真を紹介したいと思います。

写真を載せるのも迷ったところだが一人でも多くの人に今、起こっている事を伝えたい。何かを感じてもらいたいという思いから載せます。

現場に向かう途中の線路です。

線路にも瓦礫。線路の完全復旧には10年かかるとも言われています。



先ず始めに向ったのは海岸からおよそ1kmほど離れた民家。

作業は家の中の掃除。畳や家具、瓦礫に藁などの撤去作業です。



屋根まで津波が来た事が分ります。



家の中まで藁やらヘドロやらいろんなものが入ってきてます。

ここで出会った老夫婦は福島の人たちのことや栃木から来た私達のことも心配していました。

自分たちの家がこんな状況なのに。。涙が出そうになりました。

その後、農家の泥かき、畑?空き地?に流れ着いた瓦礫の撤去。

ほんとしんどかった。くさいし重いし訳分んないし。

体力はそれなりにあるとは思っていが想像以上にハードワークで、肉体を酷使した作業だった。

また悲惨な状況を目の当たりにした中で行う環境下に慣れていない為精神的にも疲れた。

合宿よりもはるかに疲れた(笑)

夜はテントで寝るはずだったが東松島の知人宅にお世話になる事に・・・。

実はこの知人、国体の時に知り合い、その後もソフトの応援に来てくれた方です。

家は床上浸水になり先日片付けが完了し避難所生活から解放されたそうです。

そんな大変な中、お邪魔しては申し訳ないと思い一度はお断りしたものの是非、泊まって欲しいとのお言葉に甘えさせていただきました。

正直複雑でした。

でも、一日でも早く今までの生活を送ってもらいたいしお話を聞くだけだけでもストレス発散になる事だったあるだろうしといい方に考えお世話になりました。。

震災当時の話をしてくださいました。

第一声がここまで津波が来るとは思わなかったでした。

あっという間に全ての物を津波がのみ、その場に立ち尽くす周辺住民の方々は、真っ黒な波と降りしきる雪に震えは止まらず、ただただその状況の中で生きる事を祈り、どうか天災が収まる事を祈り、家族友人の無事を祈ったそうです。

大震災の日も避難所では毛布もなくみんなで肩身を寄せ声を掛けながら一夜を明かしたそうです。

想像を超える経験。想像を超える恐怖。想像を超える天災。

自分に置き換える事すらできなかった・・・

さまざまな苦難を乗り越え実際に出会った現地の人たちは、未来への不安と希望が入り交じりながらも、よりリアルに「今」を一生懸命生きているように感じました。

次の日は、お寺の作業依頼がありお墓の掃除をしたがありえない。

どこから流れてきたか分らないウッドデッキやら倉庫で墓石は倒れひどい場所は墓石がどこかに流されている。

土台しか残ってないお墓。

津波はなにがしたいのか・・・。なにがしたかったのか?

自然の猛威にただただ怒りを覚えた。

すれ違う地域の方にボランティアですか?っと声を掛けられ御苦労さま。ありがとうと声を掛けられる度に違和感を覚えた。

来てくれるだけで本当に嬉しい。お体に気を付けてくださいと言われた時にはなぜ、こんな状況下で人の心配ができるのか?改めて自分の小ささを感じた。

元気を与えなくてはいけないのに元気をもらった。

そして石巻へ。

声が出ない。出るのは涙だけ。

見た事のない風景。

ありえない光景。

どうしたら車がこんな形になるのか?

らくだの思考回路は切断。

目の前の光景に口を開けただ見ることしかできなかった。









これが今の石巻。

これが同じ日本の石巻。

震災当時はもっと凄かったんだと思う。

家に戻り、改めてこういった映像を見ると自分が昨日までいたあの場所だと言う事が信じられない。

およそ二月が経つが、まだまだ復興には莫大なお金と時間、労働が必要と
されている事を実感した。

そのなかで、伺った地区をあそこまで整備した自衛隊、地元住民、ボランティアの方々の活動に、心より尊敬と敬意を表したいと思います。

そして今回のボランティアで感じた事はとにかくマンパワーが足りない。

全然足りない。

もし躊躇っている人がいたら是非、現地にいってください。

らくだもまた、行きます。

もし気になる方、そして今まで『力になりたい』と思いながらも、何も出来ずに無力感を感じていた方、出来る事は沢山あります!

いろいろな支援の方法があるので、それぞれがそれぞれの形で無理なく出来ることを出来るタイミングで行えばいいと思います。
・物資を送る

・義援金を送る
・被災地のものを買う
・節電する
・祈る
・原発について考える

何でもいいと思います。

その積み重ねが、明るい日本を作って行くのだと信じています。

まだまだ長期にわたる支援が必要ですがこれからも無理なく出来る限り続けて行こうと強く感じました。




今の宮城

こんにちは。

連休最後を迎えているらくだです。

さてさて、先日GWにボランティアに行くかどうか真剣に悩んでました。

マイミクさんのアドバイス、東松島の知人の言葉で迷いは消え、ボランティアに行ってきました。

まずはじめにいろんな方に日記を見てもらってます。

これから書く日記の内容にいろいろな事を思うかもしれません。

十人十色、思う事は人それぞれ違います。

当然、日記の内容に批判があるかもしれません。

それは覚悟しています。

ただ、今の現状を一人でも多くの人に知ってもらいたいのです。

今回、ボランティアに行って来て感じた事はたくさんありました。

行って良かった。

本当に良かった。

そう思ってます。


5/1の21時過ぎに家を出て、ソフト部の寮に行きました。

協力していただいた支援物資をゼストに詰め込む為です。

はい。

最初の予想外な事が起きました。

想像以上の支援物資の山。

すでにテントやら水やらガソリンなどでゼストには半分以上埋まってました。

折角、集めてもらって申し訳ないのですがマスクやら洗剤など生活用品を詰め込み宇都宮の友人を拾い23時過ぎに栃木を出発しました。

東北道を北上し、去年の11月に仙台に行ったな~など思いだしながら運転してました。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1630092194&owner_id=13634541

栃木から福島、福島から宮城と車を走らせたが福島に入ると一気に緊張感が。

福島に入る頃から震災による交通規制が始まり、所々でひび割れや地盤沈下などが見られ、道路工事も至る所で行われていた。

舗装されているとは言え、道路はぼこぼこ。

段差注意の看板も虚しく、何度ゼストがジャンプした事やら・・・。

もうちょっと手前に看板置いといてくれればいいのになと思いつつジャンプするたびにあか~んっと叫んでました。

いつもとは全く違った高速道路の風景に、地震がもたらす自然の力とそこから立て直そうとする人間の力を感じる最初の出来事だった。

途中、休憩を挟み4時間弱で東松島市に到着。

先ず、宮城県東松島市ですが、港町でもある石巻市に隣接する市で、また今回の津波による大きな被害を被ってしまった気仙沼から南へおよそ80kmに位置する太平洋に面した街です。

2001年のみやぎ国体で大変お世話になったところです。

その東松島市を拠点とした現地ボランティア団体を立ち上げた方を便りに、
今回コンタクトをとらせていただき、参加させてもらいました。

3時半くらいに目的地近くに到着。

今回お世話になる拠点の手前3kのミニストップで7時になるまで仮眠取りました。

周りは真っ暗。ものすごい風。

風で車が揺れ地震かと思い一人で焦ってました。

結局、仮眠と言っても一睡も出来ず朝を迎えてしまった。

7時になり、ミニストップでコーヒーを買い明るくなった辺りを見てびっくり。

様々なメディアから目にしてきた風景そのものでした。

覚悟はしていたが実際、現実を目の当たりにすると結構ショック。



それと同時に気が引き締まり、拠点となる地区センターに向かいました。

そこには京都、大阪、秋田、練馬、大宮いろんなナンバーがいました。

外人さんもいました。

日本が温かい国だと言う事、こんなにも世界から愛されていたんだと痛感。

多くの人が集まり他人事にしない、日本に生まれて誇りに思った。

そして、乗合で海岸近くの現場に行った。

一日目はあまりのショックに写真を撮る事すらできなかった。

ボランティアの代表の方が撮った写真を帰り際に頂いたのでその写真を紹介したいと思います。

写真を載せるのも迷ったところだが一人でも多くの人に今、起こっている事を伝えたい。何かを感じてもらいたいという思いから載せます。

現場に向かう途中の線路です。

線路にも瓦礫。線路の完全復旧には10年かかるとも言われています。



先ず始めに向ったのは海岸からおよそ1kmほど離れた民家。

作業は家の中の掃除。畳や家具、瓦礫に藁などの撤去作業です。



屋根まで津波が来た事が分ります。



家の中まで藁やらヘドロやらいろんなものが入ってきてます。

ここで出会った老夫婦は福島の人たちのことや栃木から来た私達のことも心配していました。

自分たちの家がこんな状況なのに。。涙が出そうになりました。

その後、農家の泥かき、畑?空き地?に流れ着いた瓦礫の撤去。

ほんとしんどかった。くさいし重いし訳分んないし。

体力はそれなりにあるとは思っていが想像以上にハードワークで、肉体を酷使した作業だった。

また悲惨な状況を目の当たりにした中で行う環境下に慣れていない為精神的にも疲れた。

合宿よりもはるかに疲れた(笑)

夜はテントで寝るはずだったが東松島の知人宅にお世話になる事に・・・。

実はこの知人、国体の時に知り合い、その後もソフトの応援に来てくれた方です。

家は床上浸水になり先日片付けが完了し避難所生活から解放されたそうです。

そんな大変な中、お邪魔しては申し訳ないと思い一度はお断りしたものの是非、泊まって欲しいとのお言葉に甘えさせていただきました。

正直複雑でした。

でも、一日でも早く今までの生活を送ってもらいたいしお話を聞くだけだけでもストレス発散になる事だったあるだろうしといい方に考えお世話になりました。。

震災当時の話をしてくださいました。

第一声がここまで津波が来るとは思わなかったでした。

あっという間に全ての物を津波がのみ、その場に立ち尽くす周辺住民の方々は、真っ黒な波と降りしきる雪に震えは止まらず、ただただその状況の中で生きる事を祈り、どうか天災が収まる事を祈り、家族友人の無事を祈ったそうです。

大震災の日も避難所では毛布もなくみんなで肩身を寄せ声を掛けながら一夜を明かしたそうです。

想像を超える経験。想像を超える恐怖。想像を超える天災。

自分に置き換える事すらできなかった・・・

さまざまな苦難を乗り越え実際に出会った現地の人たちは、未来への不安と希望が入り交じりながらも、よりリアルに「今」を一生懸命生きているように感じました。

次の日は、お寺の作業依頼がありお墓の掃除をしたがありえない。

どこから流れてきたか分らないウッドデッキやら倉庫で墓石は倒れひどい場所は墓石がどこかに流されている。

土台しか残ってないお墓。

津波はなにがしたいのか・・・。なにがしたかったのか?

自然の猛威にただただ怒りを覚えた。

すれ違う地域の方にボランティアですか?っと声を掛けられ御苦労さま。ありがとうと声を掛けられる度に違和感を覚えた。

来てくれるだけで本当に嬉しい。お体に気を付けてくださいと言われた時にはなぜ、こんな状況下で人の心配ができるのか?改めて自分の小ささを感じた。

元気を与えなくてはいけないのに元気をもらった。

そして石巻へ。

声が出ない。出るのは涙だけ。

見た事のない風景。

ありえない光景。

どうしたら車がこんな形になるのか?

らくだの思考回路は切断。

目の前の光景に口を開けただ見ることしかできなかった。









これが今の石巻。

これが同じ日本の石巻。

震災当時はもっと凄かったんだと思う。

家に戻り、改めてこういった映像を見ると自分が昨日までいたあの場所だと言う事が信じられない。

およそ二月が経つが、まだまだ復興には莫大なお金と時間、労働が必要と
されている事を実感した。

そのなかで、伺った地区をあそこまで整備した自衛隊、地元住民、ボランティアの方々の活動に、心より尊敬と敬意を表したいと思います。

そして今回のボランティアで感じた事はとにかくマンパワーが足りない。

全然足りない。

もし躊躇っている人がいたら是非、現地にいってください。

らくだもまた、行きます。

もし気になる方、そして今まで『力になりたい』と思いながらも、何も出来ずに無力感を感じていた方、出来る事は沢山あります!

いろいろな支援の方法があるので、それぞれがそれぞれの形で無理なく出来ることを出来るタイミングで行えばいいと思います。
・物資を送る

・義援金を送る
・被災地のものを買う
・節電する
・祈る
・原発について考える

何でもいいと思います。

その積み重ねが、明るい日本を作って行くのだと信じています。

まだまだ長期にわたる支援が必要ですがこれからも無理なく出来る限り続けて行こうと強く感じました。




プロフィール

らくだ23

Author:らくだ23
一人が好きで独りが嫌いです。

お酒を飲むと斑点がでます。

笑っちゃいけないときにわらっちゃます。

耳栓がないと寝れません。

いつもなんとかなると思ってます。

高所恐怖症です。

寝るときはうつぶせです。

すぐ、体調が悪くなりトイレとお友達になっでしまいます。

やりたい事がいっぱいです。
死ぬまでにやりたい100の事(100超えてしまってます笑)

趣味:山登り、島巡り、一人旅
過去の旅

特技:ソフトボール
チームを作り今も続けています。
いっつめん




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